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リアル

2019-07-16 Tue 03:34

 

日本語と英語の時ではものの考え方が変わる。言語と民族性の関係のようなものを感じる。

 

 

どうも自分がいつもネガティブな言葉を吐いている気がして、英語の時もそうだろうかと考えたら、違うことに気がついた。最初は、単純に英語のボキャブラリーが少ないこと、伝えることに必死でネガティブなことを考える暇がないこと、が理由だと思っていたが、そうでもない気がしている。

 

 

日本語には同じような感情を表す言葉が複数ある。そして、喜びを表す言葉よりも、悲しみを表す言葉の方が圧倒的に多い。日本人は欧米人よりも感情表現が苦手なのに、言葉の種類はたくさんある。苦手だからこそ、たくさん使い分けているのだろうか。

 

 

日本ではちょっとした言い方の違いで、人間関係が大きく変わってしまう。空気が読めないなんていうのはまさにこれだ。さらに、本音と建前もあって、一体何がその人の本音なのかよく分からない。

 

 

ボクも日本で生まれ育ったわけだから、「こういう場合はこういう言い方をした方がいい」というのはある程度分かる。仕事の関係では、すべて本音でぶち当たったらクビになるので使い分ける。だが、それをプライベートでもやっているとストレスになる。その歪みは積み上がって、人付き合いが面倒になる。

 

 

昔、帰国子女の友達が言っていたことで印象に残っていることがある。「間違ったことを言ってしまっても、あとで謝ればいいじゃん」と。もっともだと思った。冷静になって反省することは多々あって、海外の映画やドラマではそんなシーンが必ずある。けっこうひどいことを言ったあとに許し合う。が、日本ではわりと許されない。「反省するくらいなら最初から言うなよ」と思う人が少なからずいる。これも歪みの一つだと思う。

 

 

そんな風に考えると、政治や社会というより、人間関係において居心地の悪い国だなと思う。自分のことは言わないのに、他人の話を聞くのは大好きで、さらに本人がいないところで話題にして酒を飲む。ボクにはどうも性に合わない。

 

 

それに対して、「俺のことじゃないからそこまで興味ないけど、お前がそうしたいならやれよ、手伝ってやるよ」というのが、ボクが感じたアメリカ人のスタンスだ。まず自分の意思を表示して、何を相手に望むのか、話し合って解決していく。ここには、ネガティブな要素などない。すべてが自分発信だから、必然的に前向きになる。ボキャブラリーが少なきゃI wantの連続だ。常に自分がどうしたいか表明しなきゃならない。でも、何か気が楽だ。

 

 

ネガティブな言葉は我慢して、ポジティブなことだけ言えという人もいるが、それも違うとボクは思っている。歪みは簡単に消したり押し隠したりできるものではないはずだ。裏アカウントなんてものも、見られたくないけど吐き出す気まんまんの代物だ。そんなものは、笑顔を売りにしているアイドル以外はみっともないと思う。臭いものに蓋をするのは、一見美しく見えるかもしれないが、リアリティや信頼を伴わない。ボクが薄っぺらく感じてしまうアカウントは、そういう人間の醜い部分を必死に隠しているからかもしれない。

 

 

べつに友達や日本人の批判をしているつもりはない。ただ、疲れている。

 

 

最近、一番仲のいい外人に初めて弱音を吐いた。コイツなら通じると思ったんだろう。彼のアドバイスは、わりとしっくりきた。受け入れて、反省して、時が経つまでお前のやりたいことに打ち込め、というアメリカ人らしさが、現実的でフィットしたのかもしれない。